◎ かなり達者な絵をやる方がおられて、出しゃばってコメ等をやらせていただいた折に 火の鳥の話題が出ましたので、いささかにギョっとなりましたが その方の絵は情熱的な雰囲気が有り、穏やかさも兼ね備えた一種不思議な雰囲気を持った世界を醸しだしていました いくらか個性に嫉妬を感じたり・・なんてのは致し方ない個人的な世界だし、笑って下さい
しかし、何か時折に燃える様な感覚を受け、無礼を重ねながらに 行き来をさせていただいたりしております また、つれづれに・・今回は一般の人にはいくらか入り難い、お絵描き方面の話題 !! ここいらは、兎に角お許しをば・・でGO◎ やる気の素だったりの本、それの一部がコレだったりです・・・1967年あたりのモノで虫プロで出してた漫画予備軍の為の本なんてのがコピーでした 今でも胸を熱くしてくれるのだけど この他にあと12~3冊ありまして、時折に取り出しては 美しい10代をこっそりと・・。
◎ 青春時代はアイドルって云うと、マンガ家の先生方だった時期がありましたし アポもとらずに「九州から来ました」 なんて大嘘ついて? 訪ねていったりしてました ( ま~とんでもない野郎でして・・ほんと ) マンガ歴は現代の方々からすれば古いかも・・です 感覚とすれば、明治を飛び越し 慶応の時代あたり迄行ってしまうかも・・? と、そんなあたりになるかも知れません・・
◎ さすがに "のらくろ" あたりは知りませんが 月刊誌からの出発で、 少年 少年画報 冒険王 少年ブックなんかから始まってます アトムやまぼろし探偵 矢車剣の介 くりくり投手 赤胴鈴の助 ビリーパック・・なんて云ったって、今のヒトにはチンプンカンプンでしょうけど 最近の漫画・・って若い人にやられたら まず、解らないから どっこいなんじゃないのですか?
これに貸本世界の 辰巳ヨシヒロ だの いばら美喜 水木しげる 山森ススム 久慈あきら K元美津 ヒモトタロウ 本としたら、影 魔像 刑事 街 怪談 オール怪談 水木さんは、まだ鬼太郎以前の 戦記モノをやってましたし、イラストでおなじみの高橋真琴さん 関口みずき氏 あたりしか女性陣は覚えてませんが、ご勘弁也
◎ 時代によってアイドルが違うように、年代によってもそれぞれなのだし・・ ちなみに "弥九郎" と云うハンドル名は 横山光輝氏の伊賀の影丸PART2の 由比正雪編で、出だしあたりから影縫いの術を使い、服部半蔵を困らせる 正雪の部下の陰流の忍者から・・だったりしてます
◎ ウチの1軒隣が貸本屋だったので、おもに関西方面で活躍してた方々の、いわゆる貸本向けの単行本も目にしてたりで 街だの刑事 怪談 なんかですが、永島慎二さんは COMで描く以前から さいとうプロの出していた、ゴリラ・マガジン等でも目にしていましたが フーテンが始まる少し前の短編になりますが 好きな作品群です
我が宿家は当時千葉の習志野でしたが 国電に乗り、御茶ノ水まで画材を買いに行ったり 新宿は御苑そばの漫画喫茶コボタンなんかへ 時折に出かけるのがささやかな楽しみの一つでした 或る日、コボタンへ行ったら、永島さんの原画展をちょうどやっており 永島さんと初めてお会いできましたが これにはビックリでラッキーでした。◎ さいとうプロの頃の話を切り出したら、殊の外喜んでくれ かれこれ4時間ばかり話し込んでしまい それから 「呑みに行かないか !! 」なんて、まさかのお誘いを受け また朝まで もう夢中で話しましたが ちょっと信じられない出来事でした・・
◎ 妹が居たおかげで、矢代まさこさんも発見できました ファンでもあった水野英子さんは"セシリア" や "すてきなコーラ" 等、いくらか洋風っぽい感覚でしたが 矢代さんは純和風かなぁって気がしてました 何故か童謡や絵本を思い出させてくれ 水野さんのライバルって云うとこの人・・って気がしてましたが 某出版社でやはり偶然、お会い出来ました 自分はこの頃運がイイですね~実に・・ツイてました
・・が、この方も貸本方面でしっかり地盤を築いており "ようこシリーズ" なんかを覚えてますし この時には、ぬわんと? もっと運よく、樹村みのりさんとも会え しみじみと涙が出ました 「長らく矢代さんの絵にすごく影響を受けまして・・」と話したら、 樹村さんも 「私もですよぉ・・同志じゃないですか !! 」 と、思わぬ相槌を打ってくれましたのが嬉しかったのでした ◎ かなりの間、自分の絵は少女タッチでした ( あすなひろしさんの影響もありますね~ ) しかし、八代さんの "シークレット・ラヴ" だの "ノアを探して" ここいらを想い出すと泣けてきます で、となりに有るJUNの表紙・・これもゾクゾクきてたり・・ !!
◎ コボタンがらみで、宮谷一彦氏とも会えました。 原画展を見に行ったら たまたま居てくれたのです この日は運よく、人がかなり少なく この漫画、"ライク・ア・ローリング・ストーン" の話等や これからの抱負だとかを話してくれました この"ライク・ア・ローリング・ストーン" が好きで、今もこうやって見たりしてますが かなり個性がすごくて匂って来る様なのがたまらないのですが 何だか音楽っぽいフィーリング部分も感じちゃってます
◎ この時にホワイトの意見を述べてくれまして 「 雨みたいのをやる時はこうやってるけど、知ってた? 」 みたいな部分です 溝引きの技法 と、云うモノでしたが ガラス棒と細筆を持ち 定規の溝に棒を入れて滑らせ これを支点に筆を滑らかに動かす・・と、云った技ですが ここいらはまるきり知らなかったので 思わず拍手しちゃいましたが 「デザインの人なんかにはおなじみの技術だよ」 とも、のたまってくれましたが いや、まったくおそれいりました
現在、バイクやクルマをやったりしてるのは この方の影響部分が大です ファンタジーっぽいのは おそらく石森さんの "ジュン" からですね
◎ 上の画像は、COMの第1シーズン・・手塚 永島 石森 の古株の執筆陣で、ここいらに 神絵里見だの忠津陽子 竹宮恵子氏だのの投稿作品が・・これの後期にやまだ紫氏等が混じってきていました 山上たつひこ氏などや、青柳裕介氏 岡田史子さんなどが相次いで参加 そして宮谷一彦氏等も加わります
ここいらからは、関西勢も加わりだした第2シーズンって、カンジがありました 池上遼一氏やみやわき心太郎氏 そして関西でのCOM的雑誌 ごん に執筆中だった 政岡としや 氏等も参加 あだち充の名前がデンと上にあります 樹村みのりさんと八代まさ子センセは常連になってきてました◎ その内、自分の周りでも大きな変化が起こりました 或る日、御茶ノ水にて画材を買った帰りに喫茶店で、何気に漫画っぽい絵をやっていました この頃、喫茶店のマッチの絵を描く・・なんて方面の世界がまさかに飛び込んで来てしまい、これが不思議と続いて来ていたのです この時に、突然後ろの方から声を掛けられました
「あれ? なんで君がここに居るんだ?」 等とやられましたが、相手の顔をまるで知らないのです 「ちょっと座っていいかい・・」と、前に座り 「ちょっと、絵を見せてくれない?」どうも、いくらかにお気楽な話の口調では、当時の千葉は習志野での 自分の生活環境を知って居るらしきの人間の様なのです 「実は自分の知り合いから、君の噂を耳にしていてね 漫画っぽい絵をいくらかやれる人間を探してる 自分の後輩とそのうち、時間をとって話をしてくれないか?」 との事なのでした◎ 数日後にその後輩氏と、我が街の喫茶店にて面会を果たすと 大手の印刷会社の人であり、新しく立ち上げたパッケージ部門とやらで イラスト方面の下書きをやってくれる人間を、物色している最中のコト・・「こう云うアイデアの方面の絵を何枚か、鉛筆描きで構わないから提出してくれませんか?」 とのコトで、どうやら、デザイン方面らしきの世界・・?
何枚かを考えて持って行ったら 後日にそれを仕上げたモノを見せて貰って、顔面蒼白 !! 漫画とはまるで違う、イラストの世界で とても自分の腕では、到底太刀打ちが出来る世界ではないのです が、アイデアと下書きが欲しいのだし、充分だ !! とのコト・・
摩訶不思議なこの仕事を何年かやらせていただきましたが、その内にぷつんと失くなってしまいました もっと達者な人に替わられたのかも知れません・・が、しかし、いい経験をさせて頂けて、未だにこの事は つくづく感謝しかありませんでした
◎ 樹村みのりさんの本をちょっと、紹介・・!! こう云う風な絵を描いていた方になります。 短編が多い方でしたが、珠玉の名作的なモノをいくつか残して来ました 竹宮さん達と同い年らしくて、彼女の口癖が 「このヒト、上手いなぁ・・!! 」 あんたの絵を涎垂らしながら、見てるのが此処にいるんだよ まったく・・って、気に何度もさせられましたが 当の本人は大真面目らしきでした まったく?信じられな〜い
◎ 時は流れ、残念ながらに、いつのまにかCOMも その存在を記憶の彼方に消してしまいました・・自分はと云うと、段々とデザインだとかイラスト関連の方向に舵を切って行っていました かなりの時が流れた或る日・・ ふと、本屋で青柳さんの表紙の本を見つけました !! 手にとって見ると 坂口尚さんだの村野守美さん等の作品が載っており COM等の記事が・・
その月の新人賞募集等の項目も有り、まるでCOMのよう? そしてこの号の村野さんの表紙がとにかくスキだったのですが 残念無念で紛失・・実に悔しいコト !! で、初回の月例新人賞が みずしま薫氏 う~ん現在は "Yakurou" なんてハンドル・ネームでしたりですが 若き緑の日々ですね~・・・涙 (CM-TIME) ◎ この時期は、母が逝ってしまい、妹に何とか免許を・・と、思って居た時の行き当たりばったりの 一時的な運任せの行動ですが、原稿料も頂け 教習所の資金になったので、涙モノ !! 神様に本当に感謝しました・・「よく、まぐれにでもストーリィがぱぱっと浮かんだなぁ・・?」 で、自分は今でも、ストーリィはまるでダメ・・火事場の馬鹿力とは、こう云うモノだと、つくづく感じいりました
◎ せめて絵本ぽい絵を・・で、ダメだなぁ毎回?の繰り返し 絵って未だに修行ですね !! 妹は習字を5年生からやってきて、今は師範の域にありますが 自分の字を作らないと・・何時までも修行であり、おそらく死ぬ迄、到達が叶わない 長い曲がりくねった道の様です